5年飼った鶏を〆ました。


タイトル通り。
2020年、ちょうどコロナで外出禁止令が出た前日に農場へ買いに行った雌鶏4羽。
1羽は何故か数ヶ月後に突然亡くなり、そこへ新たに1羽、養鶏場(っていうのかな)から買い足しました。
それからどの鶏から始めたのかわかりませんが、卵を突いて食べるようになり(全部ではない)
犯人探しをしていました。

その後、また1羽が老年のせいか亡くなり3羽になりました。
それからも卵が食べられてる事件が続き、
卵を産んでもらって私たちが食べるために飼っているのに、
産んだ卵を自らが食べてしまっているのでは意味がない、ということで
今年まず犯人だと確信していた(実際に私が突いて食べてるところを目撃)鶏を〆ることに。

私たちはやったことがないので、友達のパートナーに頼み
羽を取ったり内臓を取ったりの処理は友達と一緒に私も初めて挑戦。
〆てすぐ、熱湯に浸けると簡単に羽が取れます。
年数のたった鶏は身が硬いのでよく煮込んで食べる、La poule au pot(いわゆるココットでよく煮込む料理)を
いろんな人にアドバイスをいただき作ってみたのですが、
それでもゴムのように硬く食べれませんでした。
(こちらは愛犬のご飯になりました)


そしてそれから旦那が2羽目を〆ました。
しかしその鶏は小さくて胸のところに大きな袋ができていて、
食べることはせず。

最後の1羽はまだ卵も生むし、残しておこうということだったのですが、
なんとこちらも自ら産んだ卵を食べていた・・・
ということで先日、旦那と二人で〆ることにしたのでした。

そして旦那が1羽目の私の煮込み料理に納得していなかったので、
自ら調べて料理をすると。

義理母には、年老いた鶏は身が硬いから焼いたりしたらもっと硬くなる、
と言われていたのでそれを伝えたのですが、
Roti(鶏の丸焼き)にすると。

自分の思ったようにしないと納得しない性格なので好きにしな、と放っておいたのですが、
普段料理をしないから、「〇〇はどこ?」とか「これはこうしたほうがいい?」とか
色々聞いてくるから、結局結構手伝う羽目になりました。
朝中この鶏の調理に時間を使いました。



で、味はどうだったかというと、

他の鶏たちよりも大きい鶏だったので、身は結構ありました。
ただ、手羽ともも肉はやはり硬くて食べれず。
ただ、ササミの部分は若鶏よりは硬いけど食べれたので、ありがたくいただきました。
子供達には〆るとこは見せていないけど、自分たちが飼っていた鶏だということで
全く食べたがらず。まだ子供にはちょっと抵抗があるのかも。
でも、「かわいそう」という感情はそこまで強くないかもしれません。
命をいただくということは、こういう事だということは理解しているかなと思います。
私の曽祖父母や祖父母は昔ニワトリを飼っていて、家で〆て食べていたそうで、
それを見た叔母は今でも鶏肉は苦手だそう。
多分、子供心にかなりのショックを受けたのだろうなと思います。
でも、牛肉も豚肉も馬肉だって、その処理をされている可哀想なところを見ていないから
食べれるだけであって、同じことなのにと私は思ってしまう。
こういうことを考えると、人間って私も含めですが、
本当、勝手な生き物だなと思う(笑)複雑な心を持った生き物ですね。
自然界の生き物は本能のままに生きてるだけなのにね。
この経験を通すと
スーパーで綺麗に切られて並べられた肉にも同じような過程があったことを想像して、
ただの食べ物ではなく、「命をありがとう」という気持ちになります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました